平日のジムはコンディショニングで使用すべきではないか

平日のジムはコンディショニングで使用すべきではないか

こんにちは。
働きながら英語や資格試験の勉強をしている社会人の方の平日の勉強の仕方については、多くの教材で語られているところだと思います。すなわち、仕事が休みの土日にがっつりと勉強、特に新規の勉強をすすめ、仕事で時間がとれない平日は、土日でやった内容の復習に専念するという方法です。
TOEIC試験の勉強をしている人であれば、土日に新しい英単語や文法を学習し、次の平日は新しいテーマには進まずに、すでに一度学習したものの復習と定着をはかる、といった具合です。学習においては、人間は三歩進んで二歩下がる、一度覚えたこともすぐに忘れてしまう生き物ですから、こうした、一度した学習の定着をはかる方法は、学習効率の面からも非常に有効とされています。また、新規の学習をすることは、かなりのエネルギーを必要とすることですから、現実的に、平日の仕事で体力を消耗し、精神も疲弊している状況では、難しいという側面もあります。復習は新規学習ほどには体力を使わない一方、上述の通り効果が高い学習ですので、まさに社会人にもってこいの方法というわけです。
同じ考え方で、フィットネスはどうでしょうか。昨今のフィットネス意識の高まりで、ダイエットによる体型改善とか、大きな筋肉を蓄えて外見を改善するとか、目標をもってワークアウトをされている方が多いと思います。
フィットネスの特徴で、目標とする体になるために、徐々に重りを重くしていったり、回数を増やしたり、強度を増やしていくというものがあります。たとえばベンチプレスという同じ種目をやっていても、20キロの重りでやっているのと、50キロの重りでやるのとでは、全くの別ものなのです。言い換えれば、新規のトレーニングといえます。トレーニングは毎回毎回が新規の活動の塊なのですが、座学での学習と同様に、新規はものすごくエネルギーを
必要とします。その影響で、ジムにいくことがとてもおっくうになったりします。もちろん、それを乗り越えて激しいトレーニングを完遂できたときの喜びというのは何にも代え難いものがありますが。
筋肉も、トレーニングによって傷つき、回復して少しずつ強くなっていくというサイクルを踏みます。いわば、トレーニング後の休んでいる時間も、実はトレーニング自体と同じくらいに重要なのです。
ストレッチをしたり、かるーく走ったり、熱いサウナで汗をかいたりといった活動は、筋肉の回復を促進すると言われます。そしてこれらは、運動としての強度があまり高くないので、実行のハードルがとても低いです。仕事帰りの平日の社会人でも、前回よりも重い重量にトライしようとなれば気力がくじけそうになるところ、これらコンディショニングであれば、もっと足取りかるくいけ、かつ効果もかなり期待できるというわけです。
というわけで、平日にコンディショニングのためにジム利用するというのは、学習者が平日に復習中心の生活を送るのと同じくらい、おすすめです。




ビジネスプランが出来たら会計士に相談してみたら有益なアドバイスがもらえるかもしれない

ビジネスプランが出来たら会計士に見せてみよう

なにか新しい事業を起こそうと考えている人ならば、ビジネスプランを考え、作成すると思う。日本語でいうところの事業計画書だ。
このビジネスプランには、起こすビジネスの概要は勿論、顧客、商品ラインナップ、販売経路、潜在市場規模、予算、想定する収益、利益などの各項目が含まれており、そしてその項目1つ1つが大きな熱量の炎となり、起案者の思いの強さを表す資料となる。
世に出した瞬間に多くの人が感銘を覚え、大流行し、競合他社も真似できない様な製品をアイデア1発で作り上げる事が出来る、いわば天才型の起業者ならば、ともすればこんな作り込んだビジネスプランは必要ないのかもしれないが、残念ながらそれは多数派を構成せず、多くの場合では緻密に作り込んだビジネスプランが、成功の成否を分ける。
しかし、商品のアイデアそれ自体が魅力的であることが最も重要な要素である事は変わりがなく、一人であれこれと考えているうちは絶対にこの商品アイデアに注力しがちである、および、せざるを得ない。

このギャップを埋めてくれるのが、誰かにアドバイスを求める事である。それも、事業計画のアイデア以外の部分については、独創性の余地が少なく、他社のベストプラクティスが役に立つ場合も多いから、一般的、普遍的でビジネス経営者として当然理解しておくべきツボを押さえ、客観的に先行他社、同業他社との比較の目を持つ、ビジネスの専門家に頼むのが望ましい。

では誰かという話になるが、一つの回答は公認会計士ではないかと思う。
まず、すべからく事業計画は予算であったり売上目標であったり、会計という言語を用いた数字で表現される。会計士はその専門家である。
例えばあなたが英語環境で生きていこうとするならば、英語環境で経験のある人に相談するだろう。そしてその中には、英語の先生という、英語の専門家も入るだろう。英語教師は勿論英語環境の専門家ではなく英語という語学の専門家に過ぎないと言ってしまえばそれまでだが、両者には多くの関連があるので、あなたにとって有益な示唆を与えてくれる可能性が高い。また、英語教師の中には、英語環境での生活経験のある方もいるから、その場合にはより有益なアドバイスをくれるだろう。
会計士も同じである。狭義には、会計という言語の専門家でありビジネスの専門家ではない。しかし、会計という言語を通じて常に多くの会社のビジネスに触れている職業である。会計という言語自体の深掘りを武器にしている会計士(主に監査法人系)、ビジネスに対する理解を武器にしている会計士(コンサル他)と、会計士にも個性がある。もし、あなたの目的に合致した会計士と出会えたなら、狭義の会計士の枠を超えた、役に立つアドバイスをしてくれるに違いない。





みさき投信中神社長のエンゲージメント投資にみる、会計士のキャリアの在り方

みさき投信中神社長の主張するエンゲージメント投資について

こんばんは。みなさまはみさき投信の中神社長をご存じでしょうか。新聞や雑誌でちらほらと露出されていますので、ご存じの方も多いとは思います。

みさき投信という投資会社の代表で、エンゲージメント投資、働く株主というのを標榜されています。
状態の悪化した会社を安値で買いたたき、価値のある部分だけを切り売りしたり、経営陣の首をすげかえてバイアウトしたりするヘッジファンドや、短期的な株の値動きに合わせて売買を繰り返すデイトレーダーなどとは異なり、エンゲージメント投資というのを標榜しています。

正確な理解には彼の著書なり記事を読んでいただきたいと思いますが、超乱暴にまとめてしまうなら、長期的な投資を前提として、株主として会社外部の客観的な立場から、経営提案を行う投資家といえるでしょうか。ビジネス(売っている商品の魅力)や、ピープル(安定して優秀な経営陣、従業員)の存在は前提として、その会社の大きな舵取りについて、アドバイスしますよ。株主として株を保有することで、単なる評論家と異なり、ちゃんとコミットもしていきますよ、というポジションです。

ユニークでおもしろいと思ったのは、経営のベースとなる商品や人材について所与としていて、そこから経営の舵取りでレバレッジの効かせ売る部分について最大限の注力を行うとしている点です。もともとしっかり
した優秀な会社が、もっと飛躍するためのお手伝いをしますよ、そのためには経営の手腕が必要で、他社の情報を圧倒的に知っている我々が有用ですよ、というような感覚でしょうか。
ある意味では、戦略コンサルタントに近いかもしれませんし、社外取締役に近いかもしれません。

会計士の活躍できる土俵は結構あるのではないかと考えます。会計士は元来、このような投資の基礎指標となる財務数値の専門家ですから、ベースとなる言語の理解はありますし、多くが監査法人で監査をキャリアのスタートとする慣行上、他社の事例を多く知っている土壌があります。監査では制度決算の適切性に主眼を置いてその知見を活かしますが、その軸を少しずらして、経営の発展という主眼に昇華できれば、貢献できるフィールドはかなり広いと思うわけです。
会計士はそのキャリアの自由さが、ほかの一般の会社員と異なる強みですが、たとえば監査を10年やった人がこのみさき投
信のような投資会社で投資先の選定などをやったとして、結構価値のある仕事が出来るのではないかと思っています。
そこで何年かやって、また監査に戻る選択肢もありますし、一般事業会社へ入って企業内会計士として活躍する選択肢だってあるわけです。
ベースは制度会計におきながらも、どれくらいそこに上澄みを持たせられるかが、会計士のキャリアを決めます。制度会計は、たぶんに、過去の実績の数値化に重きを置いていますが、投信なんかで求められるのは将来の業績の数値化です。そもそもビジネスの内容自体が理解できていないと立ち入れない領域がそこにありますから、数値をある意味でちょうえつしたビジネス自体の理解や洞察というのは、今後かなり重要になっていくに違いない、と、思います。




会計士が”資産”という考え方で、身の起て方や芸人さんの職業的価値を考える

会計を少しでもかじったことのある人であれば、資産や負債について、なんとなくはイメージがつくと思う。今回は、資産というものについて、少し考えてみたいと思う。
IFRSには概念フレームワークという基準がある。個別具体的な会計基準の前段階としての考え方や、個別具体的な会計基準で特定的にカバーされていない事象について検討するさいに立ち返るべき基本的な考え方が示されている。
ここに資産の定義がある。いわく、
「資産とは、過去の事象の結果として企業が支配し、かつ、将来の経済的便益が当該企業に流入すると期待される資源をいう」
とある。

キーワードは、過去の結果として自らが支配しているということと、将来の経済的便益の流入が期待されることである。
ひらたくいえば、がんばった結果として自分が有しているもので、将来利益を生んでくれる価値のあるもの、ということである。
通常の企業のバランスシートには、資産の部があり、そこに資産が列挙されている。たとえば、現金、売掛金、棚卸資産、有形固定資産、といった具合だ。
現金であれば利息を稼いでくれるし、それを有益ななにかに投資することでより大きなキャッシュに還元できる可能性もある、売掛金はもっていればいずれ現金が入ってくるし、棚卸資産は売れば現金が入ってくる。有形固定資産、建物や機械装置などのことだが、これらは使用することで企業がビジネスを回し、収益を有むと期待することができる。
以上が、一般的な資産であるが、時に、のれんという資産が計上されていることもある。これは、現金や建物のように具体的なすがた形はないが、将来の利益をかとくする能力を有すると判断された、ブランド名だったり、顧客ネットワークだったり、リレーション網だったり、というものである。毎年価値を判断し、下落していないかを確認する必要があったり、数年間でゼロになるように償却しなければならない可能性がある一方で、価値が毀損しないような資産であると認められれば、ずっとそのまま保持し続けることも可能である。

みなさん一人一人について、その保持する資産というのはなにかと考えてみたい。現金や車、建物などの、わかりやすい資産を持っている人も多かろう。一方で、資産とは上述の通り、利益を有む無形のあれこれも含む。
たとえば会計士の資格を持つものであれば、その資格自体は立派な資産だろう。常に研鑽に励み、メンテナンスの必要があるものの、基本的には有効期限はなく、その価値は毀損しない。むしろ、経験を積めば積むほど、その価値は上昇していくものともいえる。
あるいは、すごく仲のよい、刺激しあえる友達関係だったり、有益な情報をもらいあえる人脈はどうだろうか。これも、これによって本人の仕事の成功につながったり、人生の豊かさにつながっているのであれば、立派に資産である。友達や同僚、仕事の人間関係などは、日々これを良好に保つためのメンテナンスが必要であるが、一生涯にわたり持ち続けることが可能な、価値の毀損しにくい資産である。

ほかにはたとえば、一発芸人の一発ギャグはどうだろう。ヒットしている時は、その一発ギャグ一本で、爆発的に収益を稼ぐことが出来る、超優良資産である。一方で、ひとたび飽きられてしまうと一気に稼ぐこことがむずかしくなる。早ければ1年も持たない場合もある。そのような場合、資産に置き換えるとその価値は一年で下落しゼロになる。会計用語では減損と呼ぶくらい、激しく資産価値の下落がおこるものである。しかしながら、もしも一発芸人から、ちゃんと長期間活躍できる芸人に進化できたとしたら、その価値は毀損しないどころか、ますます資産価値をあげ、ますますの収益を稼ぐ源泉となってくれるのである。

会計は世の中の事象を表現するツールであり、言語である。一人一人の人間がどう自分の身を立てていくかということを考えて
いく際に、資産をどう増やしていくかと考えていくことは非常に有益であるし、また、芸人をその資産価値という言語で表現してみることもまた非常に有益なのである。




会計士が、”先生”と呼ばれ続ける為に必要なこと

こんにちは。日曜日の朝9時。スターバックスに居りますが、向かいの席で大学生らしき人がTACの財務諸表論の教科書を広げており、シャーペンと消しゴムでがっつりと書きながら勉強をしております。
仕事を初めてからはや10年弱経ちますが、シャーペンと消しゴムを使う機会はめっきり減りました。メモもパソコンで容易にとれるようになり、ノートをとる機会自体が減っていますし、ノートをとる際もボールペンです。
個人的には、ボールペンとシャーペンの違いは結構大きいような気がしています。
ボールペンでメモをとるときには、断定的で、すでに決まった既決事項を記録の為に書き記すという度合いが大きいように思います。一方で、シャーペンで書く場合には、消しゴムで消して書き直すことが出来るという前提の元で、記録というよりも、自分の思考の整理という観点でメモをとる度合いが大きいように思います。考えたことをメモし、それを矢印で次の言葉につなげ、どんどんと思考を深堀りや横展開していき、最終的に頭を整理したり、結論を書きながら導き出すイメージです。数学の証明問題を、問題を読んだあとにあたりをつけてとりあえず解きすすめていき(書きすすめていき)、うまくいけばよいし、うまくいかなければ、消しゴムで消してまた別の方法で解き直すといった作業に似ています。

仕事をしていく中で、事務処理に追われ、
じっくりと物事を練ったりする時間が少なくなっていくことを感じています。前者はまさに事務処理。作業として右から左へ物事を流し進めていく作業で、後者はよりアーティスティックな、四角い粘土をこね上げて一つの作品を作り上げていくような作業のイメージです。
一日じっくりと考えないことによってすぐに日々の仕事に影響がでるわけではありませんが、半年、一年と続けていくと、それをしている人としていない人の差は大きく
なっていくように感じます。具体的には、一つ一つの仕事に与える深みだったり、説得力だったり。
情報が簡単に手に入る時代となったここ数年及びこれからの数十年に於いて、この深みであったり説得力とその源泉というのが、どんどんと当たり前でなくなっていくでしょうから、より貴重な価値を持つようになるように思います。

会計士の仕事に置き換えても同じことがいえると思います。
一つ一つの会計処理に対する深い理解がそ
の価値のベースであるわけですが、単純に、正解の処理がなにであるかという結果だけをみれば、AさんにきいてもBさんにきいても違いはないという世界かもしれませんが、そこに加えた付加価値として、たとえばどのようにしてその結論に至るのかとか、会計基準自体の背景や歴史も併せて説明できれば、それは価値になります。以外とそんなところが、会計士が先生と呼ばれ続ける為の要因ではないのでしょうか。




H29年税制改正で役員へのストックオプションを損金算入出来る度合いが実質的に縮小しました。

H29年税制改正によってストックオプションは損金算入出来なくなるか

こんにちは。H29年税制改正の中で、役員に付与するストックオプションの損金算入についての改正がトピックとなっていますね。
そもそもストックオプションとは、あらかじめ決められた価格を払い込むことで、株式を購入できる権利、のことです。あらかじめ決められた価格というのを、設計上は自由に決められますので、この価格を1円に設定する、いわゆ
る1円ストックオプションが、日本企業でも最近は増えてきていました。欧米などでは、会社の経営層には、キャッシュによる固定報酬を報酬として支払うよりも、自社の株式を報酬としてキャッシュのかわりに支払うことが一般的です。株式を受領した経営者は、この株式を資産としてとらえ、必要に応じて売却したり、あるいは保有して配当をもらったり、あるいは株価が上昇したタイミングで売るために高くなるまで待っていたりします。
このような資産としての株式の価値は株価によって決まりますが、株価は会社の業績を投資家が判断して株を売り買いすることで、上下します。従って、経営者には、現金で報酬をもらうよりも、株価を維持、上昇させる、すなわち業績を向上させるインセンティブが強くわく、という仕組みです。
日本では、権利行使価格を1円に設定することで、1円で株式がもらえる権利、すなわち、株価と1円の差額が自分の利益となる、1円ストック
オプションが一般的になってきていました。
経営者(会社法上の役員)は、自分で自分の報酬を決められる立場にあるため、業績がいいときには自分の取り分を増やしたりすることも使用と思えば出来ます。ただ、これではいつまでも法人税の税収が増えませんし、また、残った利益の最終的な分配者である株主へも適正な利益がわたるとはいえないことから、役員への報酬は、年のはじめにあらかじめ最大いくらまでという枠を株主総会で株
主に承認してもらいその額までしか報酬を出すことは出来ず、かつ、事前に税務署に届け出た額までしか法人税上の損金に算入することができませんでした。
しかしながら、このストックオプションについては税制がそこまで整備仕切れておらず、役員に対するものであっても上述のような制限がなく損金算入が可能でした。これでは制度上の不備だということで、今回の税制改正が行われ、ストックオプションについても、事前に届け出た分
までしか、損金に入れることは出来ないとされました。
税制が整備され、公正性が担保される仕組みになったのはいいことですな。健全なインセンティブに健全な経営精神が宿る、といえるでしょうか。




部活に充てていた熱量を仕事にも充てられたら凄いことになる

中学、高校とバレーボール部でした。大学はバレーボールサークルでした。大学生の際はサークルでしたが、中高の部活の時以上の熱量をもって没頭していました。人生で没頭していたことのランキングを作るとしたら、間違いなくベスト3に入ります。
熱量って結構大事だと思うんですよね、物事を成し遂げる際に。寝てもさめてもそのことばかりが自然に頭に浮か
んできてしまうようなこと、単純にやっていて楽しいこと、努力が苦にならないことっていうのが、人それぞれにあると思うのですが、そんなときには自分自身の最大限の能力を発揮できますし、またその能力の最大値時代を大きく伸ばすことができるものです。
それがたまたま私のように学生時代にやっていたスポーツの人もいるでしょうし、同じように学生時代にやっていたバンドの人もいるでしょう。ある人は受験勉強や海外留学での勉
強がそうかもしれません。また、仕事がそうという人もいるでしょう。無意識のうちに初めてついた仕事がそういう、自分の人生でもっとも没頭できる仕事だった人は、最高に幸せな人の一人だと思います。だって、仕事は学校を卒業した後30年、40年、これからは下手すると50年、60年と続けていくものですから、そういうものがずっと没頭し続けられるものであるということ自体がすごくハッピーだとおもいます。先にも書きました
が、寝てもさめても自然に(悪い意味ではなく)そのことを考えてしまって、それに対して努力することが苦にならずむしろ楽しいなんて、もし仕事がそうだったら本当に最高です。
でも、残念ながら、多くの人は、現在の仕事が、そんなに没頭できる幸せな仕事ではないと感じているように思います。私自身もそうです。
そこで、その違いはどんなところにあるのか、部活でやるスポーツとの違いという観点で、考えてみたいと思います。

最大の違いは、目的がシンプルではっきりしているということがあると思います。部活でやるスポーツは、明らかに、強くなって○○の大会で勝利するという明確な目標があって、それに向かって練習をするというシンプルな目的があります。団体競技であっても、個人の役割というのは明確ですから、なにをしなければいけない、なにを強化しなければならないということがはっきりしています。また、大会であれば日程が決まっていますか
ら、そこをデッドラインに、そこから逆算してそこまでになにかを成し遂げなければならないということも自ずと決まってきます。非常にシンプルです。一方で、戦略はいろいろありますから、構成メンバーの長所や短所にあわせた練習プランや、試合での作戦を考える楽しみがあります。それは部活としての時間でもちろんやるのですが、部活のない時間に、個人個人が考えて自由に努力することももちろん奨励されていて、その個人の自由な
努力の成果が現れてくると、部活の練習や大会で活躍できる可能性が高まるという、シンプルな側面、仕組みが成立しています。
これはスポーツの世界では当たり前のことですが、いわゆる会社組織での仕事という意味では、だいぶ状況が違います。
まず、会社組織の仕事はものすごく複雑です。会社としての目的自体ですら、スポーツのように、試合に勝つこと、といったように単純に整理し切れません。通常の営利企業であれば、会社と
しての利益を最大化するという大きくシンプルな目的がありますが、それだけでなく、従業員やその家族の生活を守るという側面も持ちます。この二つは、本質的には相反しています。なぜなら、会社の利益を最大化したいなら、会社にとってのコストである、従業員に支払う給料を限りなくゼロにしてしまえば言いわけですが、それでは従業員は暮らしていけないからです。当然ふつうの会社はそんなことはせず、従業員に妥当な報酬を払って
、利益を会社と従業員で分け合うということをしているのです。これだけみても、没頭するための目的としては、多少曖昧になってしまいます。目的がぶれてしまうため、没頭しきれないということです。つまり、あなたが従業員であったとして、その目的をどこにおくか、たとえば、自分の給料を最大化したいと考えると、会社に対する貢献は変わらなくとも自分がもらう給料だけ増やしてほしい的な発想が生じかねないからです。これは会社
員としてはよい考え方ではなくて、会社の売り上げを増やせるような貢献をして、その一部を自分の給料増に回してもらうようにするというのが正解です。会社員としては。ただ、シンプルじゃないんですよね。部活のスポーツでは、自分ががんばったらがんばった分だけ自分に帰ってきますが、組織で仕事をしているとそういうふうにはなりません。あるいは、なる度合いが小さいです。私自身、このジレンマには常に悩まされています。一方
で、もしかしたら将来十分に働けないような状況になったとしても、会社がそのときは守ってくれるかもしれないなあ、と考えたり、あるいは、今はまだ若手の下積み時代だから仕方ないなあ、と考えたりしてしまいます。
会社組織という仕組みは、社会の仕組みという観点では非常に優れた点がたくさんある仕組みで、だからこそこれだけ現代の資本主義世界の中で普及しているのですが、個人が没頭して努力する対象という観点では、きわ
めてシンプルなスポーツというものにすごく劣るという点があります。
この事実をふまえ、ではどういう考え方をしたら今の仕事に没頭できるようになるのか、あるいは、どのような仕事なら没頭できるのか、というのは、引き続き考え中ですが、どこかでまた記事にしたいとおもいます。




山手線の中吊り広告電子化しすぎは少し避けて欲しい

山手線の中吊り広告がすべて電子化されてしまうのは少し考え物ではないか

私はほぼ毎日山手線に乗る山手線ユーザーである。最近、山手線の中吊り広告が、紙から液晶パネルにどんどんと変わっている。従来からドア上部については液晶パネルが一つついていたが、まずそれが二つになってきた。片方で行き先や路線図、乗り換え案内を表示し、もう片方でテレビのコマーシャルのような広告を流している。
筆者は普段テレビをみない
(家にテレビのない)。その理由には、あまり有益情報があると感じられないというのももちろんあるが、テレビのように、点けていれば自動で情報を多く紹介してくれる行為そのものに若干の拒否反応があったりもする。そういう受動的な姿勢に慣れてしまうと、テレビを前にしていないときでも、たとえば知人や職場の同僚を前にしているときでも同じような態度に、無意識的になってしまいそうでこわいのだ。
自分にとって必要な情報は
インターネットでまず検索し、無料情報を入手し、必要な場合には専門書籍を購入するようにしているし、また、自分の思考回路外から入手すべき情報も一定程度入手するために、書面の新聞購読や定期的な本屋周りは続けている。
だが、ここに、私にとってテレビのコマーシャルに等しい電車内の中吊り広告電子版が入ると、現在保っている情報バランスが壊れてしまいそうで不安になる。
満員電車に乗ると自分の立ち位置は選べないし、
最近は座席上部の壁面にまで多くの液晶パネルが据え付けられているので、どこにいても広告が目に入ってしまう。旧来型の紙面の広告よりも圧倒的に情報量が多いため、目に入ってしまうし、いままで電車内でしていたことの集中力がそがれる気がしてならない。
慣れの問題なのかもしれないが。

そんなわけで、全く電子化をやめて欲しいなどとは言わないが、液晶パネル嫌いの乗員のために、全体の何両かは、液晶パネルなし、むしろ
広告全くなしの車両をもうけて欲しいと思う。それで若干乗車料金が高くなるとしても、基本的には歓迎だし、そもそも運送というサービスに対する対価を払って乗るわけだから、それが広告の便乗で不当に安くなる必要はあんまりないのではないかとおもう。

ということで、山手線には、一部広告まったくなし車両の導入を提案してみたい。




スタバにあると嬉しいもの第二弾

スタバにあるとうれしいものシリーズ第二段を書いてみたいと思う。

私がスタバにあるとうれしいと思うものは、知らない人とのコミュニケーションツールである。きわめて広義に言えば、出会い系の某と同類なのかもしれないが、私がイメージするのはもっとおしゃれで現代的で、スタバっぽいコミュニケーションツールだ。いくつか案を示してみたい。

1立ち飲みスペース
ハイテーブルで立ったままコーヒーを飲むスペース。知ら
ない人同士のコミュニケーションも奨励される。お酒が飲めるスタバであれば、お酒を飲みながらというのもありだ。ナンパゾーンみたいになっては元も子もないので、一定の秩序づくりは必要だろう。そこが難しいのかもしれないが、店員が常に近くにいるカウンタースタイルにするとか、男女比を必ず一定にするとか、一人当たりの滞在に制限時間を作るとか。ナンパではなく、紳士的に語らうみたいなスペースがあると楽しそうだなあ。

2異国のスタバの人とのコミュニケーションスペース
スタバの店内でだけ参加できるチャットツールみたいなもので、日本国外の世界中のスタバの人とつながってチャットができたら楽しそうだ。スタバに一人できていて、ちょっと一人で読書とか仕事をしていたけれど、休憩で5分や10分誰かに話したり、誰かの話を聞きたい人は一定層いると思う。そんな人同士がゆるくつながれたら楽しそう。日本のスタバでは英語の勉強をしている
日本人が多いが、そういう人にとっては格好の実践場所になりそうだ。時間も5分とか10分に限定してしまってもよいかもしれない。そのときにアベイラブルな人同士がランダムにつながるっていうのがおもしろそうだ。

3スタバノート
これは結構地味に欲しい。スタバのカウンターのところに置いておいて、誰でも一言書けるようにしてほしい。店舗ごとにかなりカラーが出そうだし、店員さんがちょっとした返事でも書いてくれたら
楽しい。スタバの超フレンドリーな接客スタイルとも親和性が高そうだ。

4携帯お預かりサービス
読書や勉強や仕事や休憩やおしゃべりに集中したい人の為に携帯電話を受付でお預かりしてくれるサービス。滞在中の最初から最後まででもよいし、指定しておいたらたとえば1時間後に携帯を店員さんが戻してくれるみたいな時間設定ができたりしたらさらにメリハリが効いてよいと思う。スタバにいる1時間半くらいの間、メインは自己
研鑽に励みたいけど、少しの時間はメールの返信や友達とラインでおしゃべりしたい、みたいな人はスタバで周りを見渡すと多くいるように思えるので、ぴったりではないか。

ただ、スタバはもうすでに十分すぎるほど人気があるので、これ以上便利にしてさらに集客を増やす必要はあまり感じていないのかもしれない。むしろ、後発でこれからがんばろうと思っているコーヒー店がこれらをやったら結構ヒットしそうな気がする。




スタバ社に強く言いたい!ジム併設型スタバを作ってくれたらオレ絶対行きまくる!

こんばんわ。今日はスターバックスにあったらいいもの、あるいは、こんなスタバがあったらいいなというものを考えてみたいと思います。題してスタバを超えるスタバ、ネオスターバックスとでもいいましょうか。

ジム併設型スタバ
スタバとジムってかなり相性よいと思うのは自分だけでしょうか。ジムの近くにあるスタバっていうのはたまに見かけますが、本屋とくっついているスタバのように、ジムとくっついているスタバ、は見たことがありません。もしどこかにあるならば教えてもらいたいです。イメージは、本屋と提携しているジムと全く一緒といいますか、本屋の本を持ち込んでスタバで読めるように、ジムでちょっと運動したら着替えずにそのままスタバにきて休憩できちゃう、みたいな。もちろん、ジムの前後に立ち寄るみたいな使い方や、ジムにいかない人もふつうのスタバと同じように使えます。ふつうのスタバとちょっと違いを出すために、コーヒー飲みながらストレッチできるストレッチゾーンとか作ってもよいかもしれません。
スタバの数ある魅力の中には、「ちょっと意識高い」的な人が隣で勉強してるからとなりで自分もちょっと勉強しようとか、逆にまわりはおしゃべりしているけど自分は勉強してる「ちょっと意識高いぜ」的ちょっとナルシストになれるところがあると思うのですが、ジムで自分を鍛えてるひとにもこれ、当てはまると思うんですよね。ジムのランニングマシンでいま一時間走ってきてちょっとスタバでコーヒー飲むか、おや、となりの同年代ぽい同世代のやつは運動もせずにあんんなに甘ったるそうな飲み物飲んでる、うし、おれ、がんばってる、的な思考回路笑。あるいは勉強するときでも、となりにジムでがんばってきました休憩中の人がいたら、自分もがんばろうってなりそうです。さらに言えば、ジムと座学のダブルコンボができちゃいます。ジムで体を鍛え、スタバで脳味噌を鍛える。みたいな。自分もそうですが、仕事がベースであって、あまった時間で体と脳味噌を両方メンテナンスしたいっていう感覚を持ってる人結構多いと思うんですよね。スタバとジムが併設してたら、完全にそういう人が虜になると思います。
もしデメリットがあるとしたら、ちょっとスタバが汗くさくなってしまうかもしれません。笑。あるいは、プロテインのシェイカーにコーヒー入れてくれって言ってくるごついお兄さんがたくさん出てくるかもしれません。
でもまあ、コーヒーの消臭効果と店員さんの笑顔でそこはなんとかかばーされるんじゃないでしょうか。
もしスタバの偉い人がこの記事を呼んでいたら是非東京にスタバ併設型ジムを実現させてくれるとうれしいです。